新型インフルエンザ(A/H1N1)に対する成田空港検疫所での対応

過去のパンデミックレビュー

新型インフルエンザ(A/H1N1)に対する成田空港検疫所での対応新型インフルエンザ(A/H1N1)に対する成田空港検疫所での対応

仙台検疫所長
小野 日出麿

Ⅰ. はじめに

「過去のパンデミックレビュー」のひとつとして2009年の新型インフルエンザ発生時の成田空港検疫所の対応について説明します。成田空港は新型インフルエンザ発生国からの航空機が集中し、新型インフルエンザ水際対策の主要な拠点になりました。当時、私は検疫課長として成田空港検疫所に勤務していましたので、検疫現場の状況や新型インフルエンザ患者発見時の対応等と検疫対応を行う上での課題や問題について述べたいと思います。以下、日付はすべて2009年のものです。

この時は、メキシコでの呼吸器感染症に関する情報を得た厚生労働省の指示で、4月25日よりメキシコから来航する乗客に発熱者などがいた場合、簡易検査キットによりインフルエンザの検査をするなど、通常よりも強化した検疫をおこなうこととしたのが始まりでした。発生前には新型インフルエンザについて事前に何らかの情報があり、もう少し対応を準備する時間もあるだろうと思っていましたが、早くも4月28日にはWHOがフェーズ4宣言を行い、当時、豚のインフルエンザウイルスが人の間で感染が拡大していった、いわゆる豚インフルエンザH1N1が感染症法上の新型インフルエンザに位置づけられました。それに伴い、新型インフルエンザ対策行動計画に基づき内閣総理大臣を本部長とする新型インフルエンザ対策本部が設置され、厚生労働省からの指示で検疫所は同日から「水際対策に関するガイドライン」「検疫に関するガイドライン」(いずれも新型インフルエンザ及び鳥インフルエンザに関する関係省庁対策会議策定)に基づく検疫対応を開始しました。新型インフルエンザ発生国としてはメキシコ、米国(本土)、カナダが指定されました。検疫対応については途中で変更がありましたが、ここでは主に患者の隔離を含めた検疫強化が行われた4月28日から6月18日までの成田空港検疫所での対応について述べます。

発生国滞在歴等の疫学的条件を満たし、38℃以上の発熱または最近になって少なくとも ア)鼻水・鼻づまり イ)のどの痛み ウ)せき エ)発熱があるか悪寒があること のうち2つ以上の症状が認められるという症例定義に合致する有症者にはインフルエンザ迅速診断キットを用いた検査を行い、インフルエンザウイルスA型陽性の場合はPCR検査(遺伝子増幅法を用いた確定検査)を行いました。PCR検査には数時間かかるため、結果が判明するまで有症者は病院に、同行者と有症者の2メートル以内に着座した乗客及び対応したキャビンアテンダント等の濃厚接触者は近くのホテルにて一時待機としました。新型インフルエンザ感染が確定した場合に患者は病院に隔離し、濃厚接触者はホテルで停留(※1)を行いました。また、新型インフルエンザ発生国に滞在した人は停留期間に準じ最大10日間の健康状態を確認する健康監視(※2)の対象者となる為、メキシコ、米国(本土)、カナダからの帰国・入国者の情報は、健康監視を行う保健所・地方自治体に送付しました。具体的な検疫強化対応は、新型インフルエンザ発生国から到着した航空機には検疫官が乗り込み健康状態質問票の確認等による体調不良者の把握、サーモグラフィーによる体温チェック、診察を行い症例定義に合致する有症者を発見した場合はインフルエンザ迅速診断キットを用いた検査を行う機内検疫(※3)としました。さらに全ての帰国・入国者に対して検疫検査場において健康状態質問票の徴収による新型インフルエンザ発生国滞在歴の確認、サーモグラフィーによる体温チェック等による健康状態の確認と必要がある場合に診察と検査を行いました。

※1 停留:感染している可能性が高い人を一定期間隔離すること。さらなる感染拡大を防ぐための措置であることに加え、感染者は発症してもすぐに治療を受けることが可能となる。新型インフルエンザ対策では医療機関以外にホテルも停留施設となる。

※2 健康監視:入国後しばらくの間、体調に変化がないか電話等で確認すること。新型インフルエンザは感染直後には発症しないため、対象者の健康を数日間フォローしていた。

※3 機内検疫:乗客が感染しているか否かの確認・検査などを機内で行うこと。

Ⅱ. 検疫対応の実績

新型インフルエンザ検疫対応を開始した4月28日から6月18日までの間に成田空港に到着した航空機は1日平均199.5機で最多は1日218機、帰国・入国者数は1日最多50,150人でした。機内検疫対象の発生国に指定されたメキシコ、米国(本土)、カナダから日本に来航する航空機の9割以上が成田空港着であり1日平均36.6機で最多は1日42機、乗客・乗務員数は1日平均8,578.8人でした。また、症例定義に合致する有症者数であるインフルエンザ迅速診断キットでの検査総数は805件、1日平均15.5件で最多は1日48件でした。新型インフルエンザ発生国に滞在した人の健康監視は5月22日より中止になりましたが前日の5月21日まで合計117,553件の情報を保健所等に送付しました。

表 成田空港検疫所で発見された新型インフルエンザ患者

インフルエンザ迅速診断キットでA型陽性となった有症者を隔離施設(※4)の病院に19回、合計22名を搬送しました。又、濃厚接触者の停留措置が中止される5月22日までに一時待機としたのは4回、合計119人でした。一時待機とはいえPCR検査の結果が判明したのが深夜から未明にかけてであった為、1泊する事になりました。それら一時待機者のうち、新型インフルエンザ発見事例となった5月8日と5月21日の2回の合計60名が停留対象となりました。5月21日の事例では停留指示と同時に停留解除し健康監視とした為、実質は5月8日の最初の事例49名のみが停留となりました。この間に成田空港検疫所で発見された新型インフルエンザの患者は停留中に発症した1人を含め、5便から合計10人でした(表 成田空港検疫所で発見された新型インフルエンザ患者)。また、インフルエンザ迅速診断キットでA型陽性でその後のPCR検査で季節性インフルエンザと診断された人が7人、B型陽性が1人でした。

※4 隔離施設:他の人への感染を防ぐため、隔離された部屋を持つ施設。

Ⅲ. 新型インフルエンザ(A/H1N1)検疫対応の問題点

1想定外の状況

当時の「水際対策に関するガイドライン」「検疫に関するガイドライン」は強毒性の鳥インフルエンザA(H5N1)が変異して新型インフルエンザになることを念頭に、発生国も主に東南アジア等であることを想定して策定されました。その為、発生国からの到着便数である機内検疫対象便数も1日数便から十数便と想定されていました。しかし、実際に発生した新型インフルエンザ(A/H1N1)は発生国がメキシコ、米国(本土)、カナダであり、到着便数は想定を大きく上回る1日あたり30数便であり、その機内検疫、帰国・入国者全員からの健康状態質問票の徴収、健康監視対象者情報送付等の対応に想定を大幅に超える多くの人員を必要としました。ピーク時においては、通常状態で検疫業務に携わっている人員の10倍以上の1日あたり200名を超える応援者で何とか対応することができました。しかし、新型インフルエンザ対応開始後数日は人員不足により機内検疫開始まで長時間待たせる等大きな混乱を生じました。

また、第3国経由での帰国・入国者を把握するために全ての帰国・入国者から健康状態質問票の徴集を行いました。帰国・入国者は1日約4万人にもなる為に時間を要し検疫検査場で多くの人が滞留し混乱を起こしました。機内検疫や検疫検査場での検疫に時間を要する事や乗り継ぎに問題が生じる等で多くのクレームが有りました。さらには検疫所職員が取り囲まれる等の暴力事件になりかけた事も何度か有りました。それだけ乗客等の空港利用者や航空会社等の空港関係者にも負担のかかる対応であったと思います。

4月28日に外務省が「水際対策に関するガイドライン」に基づき海外感染症情報を出すと共にメキシコに対する査証審査免除の一時停止等を行いましたがゴールデンウィークだった事もあってか来航者数は減少することは無く、逆に来航便数は5月5日から2便の増加となりました。

コラム
2009年新型インフルエンザパンデミックを振り返って

厚生労働省 医薬・生活衛生局 生活衛生・食品安全企画課
検疫所業務管理室 小出 由美子

2009年の新型インフルエンザパンデミックは唐突に始まった。

当時私は、成田空港の検疫所で検疫官として対応していた。思い出されるのは到着した飛行機からどっと吐き出されるようにロビーに流れ込む多くの乗客の熱気と疲れた顔や不機嫌な顔の人、ひと、ヒト・・・。

飛行機の到着は時間によって過密になっており、到着ロビーは次々と到着した人で埋め尽くされていた。後から到着した乗客らは、長い通路の奥で何が行われているか分からないままに並ぶ人も多かったように思う。検疫のブース前では、「早くしろ」といった怒りの声、質問票を検疫官に投げるように出す人、検疫官が質問をすれば睨むように答える人、混乱が起きないように警備や警察に協力してもらっていたが、押し寄せる人に恐怖に似た感情は今でも思い出される。

質問票は少しでも感染の疑いのある人に検疫で(国内への蔓延を遅らせるためにも)食い止めるための重要な情報であるため、正しく申告してもらわなければならない。不備がある場合はその場で質問して確認したり、書き直してもらうことが必要となるため、余計に混乱を招いていたようにも思う。入国を急ぐ乗客には、これらを迷惑だといった表情が見て取れ、何のためにこれが必要なのか分からない人も多かったように思う。

新型インフルエンザの報道は日々、加熱していったが、検疫の仕事を理解されるまでには至らなかったように思う。また、私たちも目先の仕事で手一杯となっていたため、情報を伝えるといった余裕はなかった。

2009年のパンデミックを経験して思うことは、日頃から国民の目線に立って情報を分かり易く伝え、理解を得ておくこと。その活動は再びパンデミックが起きた時の備えの一つだと思っている。

2検疫の抱える課題

そもそも感染症には潜伏期間が存在し、ウイルス等の病原体が体に侵入しても症状がでるまでに時間が有る事や感染しても症例定義に該当する様な明確な症状を示さない感染者も存在します。症例定義に合致する症状が有っても検査感度の問題や症状が出てからの時間によっては検出できない場合が有ることなどから検疫で感染症患者を完全に把握するのは不可能です。さらに健康状態質問票、問診による情報は基本的に自己申告です。急ぐ場合や他の人を待たせている状況では留め置かれるかも知れない検疫ではどうしても症状を無い方にと感じる・訴えるのはやむを得ないと思います。また、待たされて苛立つ多くの乗客・乗務員を検疫官は丁寧に確認してはいますが、それでも病院等の医療機関での問診の様に時間をかけていられないのが現実です。サーモグラフィーは体表温を測定する為、外気温等の周囲の状況の影響を受けやすく、有症者発見のための補助手段としかなり得ません。そもそも、今回機内検疫で発見された9名の患者で発見時に腋下での測定で体温が38℃以上であった者は2人に過ぎず、解熱剤を使用している場合もあり、発熱での拾い上げにも限界があります(上記表のとおり)。

また、5月21日までの停留を行っていた期間に簡易キットでA型陽性となった有症者には、一時待機した濃厚接触者の方々に迷惑をかけたという意識が非常に強く見られました。一時待機といっても次の日の朝までの待機を余儀なくされることになりますし、PCR検査の結果で新型インフルエンザ感染となれば約10日間の停留となり旅行計画等に大きな影響があったと思われます。その様な理由も有ってか機内検疫では症状を申告せずに降機後に検疫所の健康相談室や空港内のクリニックを受診した乗客もいました。検疫は、検疫官の観察や自己申告、サーモグラフィーなどにより、体調の悪い方を把握しますので、検疫官に相談しやすい環境づくりと、検疫業務について国民の理解と協力が得られるように、日頃から情報発信することは重要であると思います。

Ⅳ. まとめ

2009年の新型インフルエンザ発生時、成田空港検疫所では新型インフルエンザ水際対策の拠点の1つとして機内検疫、隔離・停留を含めガイドラインに添った対応を行いました。

5月8日到着便から本邦初の新型インフルエンザ感染者4名を発見しました。これにより日本人での新型インフルエンザ患者の症状・経過を把握することが出来ました。さらに、検出されたウイルスは成田1号株としてその後の検査や調査に広く活用されることとなりました。感染拡大を起こしやすい高校生、中学生の感染例を含め10名の新型インフルエンザ患者の入国を防いだ事と、注意喚起、健康監視によって入国後に発症した場合にも早期受診・治療に結び付けられたと思われるなど、水際対策として一定の役割を果たせたと考えています。さらには、国が検疫の強化を指示して新型インフルエンザに対しての対応姿勢を示したことで、新型インフルエンザに対する意識が変わり、国民が早期に医療機関へ受診をした結果、他国に比べて著しく低い死亡率という結果になったのだと思います。この時の新型インフルエンザ検疫対応の結果や医学的知見等を踏まえ、感染拡大防止に必要な濃厚接触者の範囲、扱いについての検討や、想定していなかった数々の課題についての検証が行われました。その結果に基づき、新型インフルエンザ対策における検疫の果たす役割について隔離・停留、対応方法を含め、現在の「新型インフルエンザ等対策ガイドライン」や「水際対策に関するガイドライン」が策定されています。さらに「新型インフルエンザ等対策特別措置法」も制定され、次に新型インフルエンザが発生した際には、より効果的で効率的で混乱の少ない検疫対応が行われると思います。

新型インフルエンザ発生時等に限らず海外からの帰国時に検疫を受ける際には、自分の為にも、また家族を含め他の人に感染させない為にも、できるだけ客観的に正確に健康状態質問票に記載する事や検疫官に申し出て頂くようお願いします。ちなみに検疫所の健康相談室には医師や看護師等の医療職も待機しており、相談だけで無く、種類は限られますが、必要に応じて感染症の検査も受けることができます。感染症に関する情報等も提供できますので、気軽に立ち寄り検疫所の健康相談室を有効に使って頂きたいと思います。

最後に、成田空港での2009年の新型インフルエンザ検疫対応については、検疫対象となった国からの帰国・入国者、空港利用者、空港関係者、応援頂いた皆様等多くの方々のご協力があって対応する事ができました。心から感謝いたします。